素人プログラマーの日常

効率の良いコード、美しいコードなんて書けません。

ボカロ作曲始めました

新しいことを始めたので一応書いておいたほうがいいかなと思い、久しぶりにブログを更新します。なんだかんだでまた一年以上放置してましたね。愛読されている方がいるかわかりませんがお久しぶりです。今回の記事は長いです。時間のあるときに読んでください。

 

 

 

タイトルにあるように Vocaloid を使用して楽曲を作り始めました。まずはそこに至るまでの経緯を書いていきましょうか。

 

これまでボカロに関しては割と冷ややかな視線を送っていました。というのも、やはり人間が歌ったほうが表現豊かになるのは間違いないですからね(もちろん歌が上手い人が歌った場合)。だから自分からボカロ曲を聴くなんてことはありませんでした。

 

それでは何が切っ掛けになったか?と今になって振り返ってみると、ゲーム制作です。作ったゲームをツイッターで紹介していましたが、無差別にフォローしまくってた時期もあるのでツイッターのTLに多種多様なツイートが流れてきます。その中で歌ってみた動画が流れてくるわけです。

 

自分で楽器を弾くこともあるし、あまり行かなくなりましたがカラオケも好きなので、その動画が気になって仕方ないから歌ってみたが流れてくるたびにチェックするようになって、歌い手さんのフォロワーをフォローするようになり、一時期のTLは歌ってみたばかりになりました。

 

歌われてる曲の中にはメジャーな曲もちらほらありますが、どこからそんな曲仕入れてくるんだ!?というような個人の曲が多いんですよね。でもって「この曲いいな」と思えるものも多い。そこでオリジナルを探してみるとかなりの割合でボカロ曲なんです。自分で歌ってる人はほとんどいない。それでもいい曲には違いないので気になった曲はオリジナルを検索するようになっていきました。

 

そうやっていくつかボカロ曲を聴いてる内に気付くわけです。「この曲はボーカロイドに歌わせたほうが味が出る」と。

 

その中で衝撃的だったのがこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=ZEy36W1xX8c

 

独特で不思議な世界観を軽快なサウンドにのせながらも歌詞は無常で切ない。それをボーカロイドが可愛らしく歌う矛盾だらけの曲。でも矛盾したもの同士がうまく相乗効果を発揮して曲全体としてひとつの世界にまとまってる感じがなんともいえない。この「感じ」は人間には歌えない。

 

で、刺激されて自分も作りたくなったという単純なお話です。

 

そもそも何十年も前から漠然と作曲したい欲は持っていたので、本気で取り組む機会がなかっただけともいえますが、切っ掛けは大事です。

 

 

 

早速ボーカロイド本体と初音ミクの最新版をウン万円はちょっと高いななんて思いつつも購入。ですがインストールを済ませワクワクしながら立ち上げてみると…。急に「めんどくさっ」ってなるんですよね~。

 

そう。新しいことを始めると必ず最初の壁としてこの「めんどくさっ」が登場して邪魔をしてくるのです。今までゲームのBGMなど自分で曲を作る機会もあったので、新しいツールも「見ればだいたいわかるでしょ」と高を括っていましたが、ちょっとわかりづらい→仕事もあるからそんなに時間とれない→「めんどくさっ」となり、ハシビロコウ状態ですよ。呆然と立ち尽くして微動だにしない。

 

数週間を経てどうにか購入時のマニュアルにざっと目を通して「よし、これで作れるな」と思うじゃないですか。マニュアル見ればやり方もわかるしあとは作るだけってなるはずなんですが、そこは創作を舐めてはいけないところで、創作への第一歩がまた第二の壁になっているんです。

 

また数週間経ったでしょうか。とりあえず何か作ってみないことには始まらない、と焦燥感みたいな気持ちに後押しされて一小節でもいいから簡単なものを完成させようと、完成することが大事だと、完成すれば成果物として結果が残るから達成感もあるし次につながると。

 

そこに丁度良い題材がありました。少し前に完成したパズルゲーム。

 

【数字パズル 九尾の狐】
http://gensproducts.com/products/js/028_inequality/main.html

 

このパズルで数字を選択したときにその数字を読み上げるのにボーカロイドを使ってみよう!となりました。ただ数字を喋るだけじゃつまらないから「1です」「2だよ」「3である」などちょっとパターンを変えてみました。後半そのパターンがなくなって悪ふざけしてるのは内緒ではないですが気になる方は実際に聴いて確かめてください。これを作る際、音程が明瞭な歌と違って喋る声のイントネーションをボカロで表現するのが難しく最終的にはかなりいい加減なところで妥協しました。

 

よーし、これで一連の流れはわかったし本格的な作曲に入るぞ~と意気込んで臨むことになるのですが、…ちょっと長くなったな。詳しく書いていくとこの何倍もの文章量になるぞ。まいっか!とりあえず気の向くまま綴っていこう。

 

作曲といっても歌詞とメロディーはもうほぼ完成してました。ボカロ購入よりずっと前から頭の中でぐるぐる回っている曲があったので、その曲を日ごとに頭の中で歌詞とメロディーを継ぎ足していって、曲を打ち込む段階ではCメロをのぞいて完成の状態。それなのでボーカルパートはそれほど時間をかけることなく歌詞とメロディーを入力できました。

 

できましたが、ここからがまた大変。オケも全部打ち込みなんですが楽器の音源を持ってないので Vocaloid に同梱されていた Studio One 4 のデフォルト音源を使用しています。最初のサビはピアノだけでいこうと決めていたのでグランドピアノを選択。でもちょっと音が馴染んでない。単音ならそれほど違和感ないのに和音にするとギザギザな音になる。どうしよう・・・。

 

他にまともなピアノもなさそうなので困りましたが、いろいろ探っていると音色をいじれるんですね。適度にギザギザがなくなるようにアタックを遅らせてみたり、ディレイなどのエフェクトをかけてみたりしてなんとかマイルドな音色に変更。

 

次に絶望するのが、やはり自分の音楽的才能。最初のフレーズはタラララターンターンタタみたいなメロディアスなピアノのイメージだったのですが、何度作り変えてもイマイチなのでターンターンとコードを叩くだけの野暮なアレンジに仕上げ「これは仮だから」と自分に言い聞かせるのでした。(全部出来上がった今となってはそれはそれで良かったのかなあと思っています)

 

まだまだ難所はたくさんあって、短調の響きがどうしても暗くなりがち問題が発生。それほど重い雰囲気を出さずにさらっと短調を使うのがこの歌には合っているので苦労しました。この回避方法は完成してから判明しましたが、作っている最中は音色をもっと変えてみたり、和音を変えてみたりとなかなか手こずってます。なので若干さらっとしてない部分もあります。

 

米津玄師さんのパプリカが子どもが歌うのに短調を使っていて話題になりましたが、つい先日米津さんが歌っているMVを見たらアレンジがほとんどリズムとベースだけで和音が少ないことに気付きます。それでいて短調の嫌味がなく、私の求めていたさらっと感が表現されていました。「こういうことか~」と一人納得した次第です。具体的には3度の音を入れるとしつこくなるのかな?といった漠然とした解釈です。

 

そんなこんなで作曲は続きます。まだまだ超える壁はある。心を折られてはいけない。次はフィルイン苦手問題が新たに浮上してきます。BGM作ってるときは途中で楽器編成が変わるような長い曲は書いてないのでフィルインってどうやったら…な状態です。Aメロはストリングスから始まってドラム・ベース・ピアノの順にフィルインしていきますが、ここはなんとか手探りでそれっぽく出来たかなといった印象でフィニッシュ。

 

また全体を通して歌に合わせるのが難しいところでした。ピアノを使うとどうしてもピアノに全部やらせてしまうクセのようなものがあってピアノが歌を邪魔してしまう。ストリングスも結構な頻度でうるさくなります。これは根本的な解決を一切拒否して音量調節で誤魔化すことにしました。ピアノはかなり自由に動き回ってるしそれが故に綺麗なフレーズも部分的にはあるので修正はもったいないといったところでしょうか。

 

ここまで長いことだらだらと書き綴ってるけど読んでる人いるかな?まあ気にせず書いていくんですけどね。

 

1番のサビまで完成したあたりで「つくづくアレンジの才能無いな」と実感したので、そこからは開き直っていろいろやっていこうと決めました。ついったーでもそう宣言してます。曲をぶっ壊してでもなんか面白そうなアレンジにしよう、的な意味です。

 

早速サビ直後の間奏で転調しました。「Yeah! これいいじゃん!」とかてきとーなノリで転調するわけですが、間奏が終わる頃になるとまた鬱屈とした表情になっていきます。そう、元の調に戻ることなど微塵も考慮していない・・・!フィルインと同じく転調も経験不足なのでどう戻れば良いかなんてよくわかってないんですよね~~~。なのに転調とか本気でぶっ壊しにかかってるとしか思えない所業。

 

でもここはなんとかリアルのピアノを前に試行錯誤して乗り越えました。こういうときはdimコード使える。dimから元の調に戻すの楽。転調にはdim最強!独り異口同音で3回言ってみました。dimコードは他でも使っていますが使えるとちょっと優越感に浸れるので使ってみてはどうでしょうか(何の提案?

 

2番のAメロはコーラス1本ストリングス2本の極めてシンプルなアレンジですが、ここは唯一歌詞の世界観が上手く表現できたと思ってます。月明かりの中、寄り添って歩く二人。その幸せ溢れる描写と脆さを予感させるような繊細な表現は特に意識したわけでもないのにすんなりできました。当初はコーラスにもっと厚みを出す予定でしたが、ここは既に完成していると私の感性が訴えるのでシンプル編成のままにしています。

 

でもこれがまたAメロの出来が良すぎたせいでBメロにきて逡巡してしまいます。「せっかくのいい流れが続かない…」何をしても流れを破壊しているようでBメロも同じくシンプル編成にしようかとも考えるのですが、そうすると次のサビでやはり流れを破壊するしかなくなるのは火を見るよりも明らかだったのです。

 

これは難題だと思いつついろいろ試してみましたが最終的にどうなったかというと、ドラムで「チャッ」という音を入れました。この「チャッ」は鈴の音なのかな。この音が入ることで急に流れがつながったように感じました。この「チャッ」はここに1度切りしか使っていませんが、私には魔法の「チャッ」として機能しています。

 

そういえば、曲を作りながら曲が完成したところまで映像も同時進行していました。その途中経過をサイトにアップし、そのリンクを順次ついーとしていくわけです。それは動画ではなく javascript によるリアルタイム描画です。動画ではないのでプレイヤーの機能はありません(実装しようと思ったけど映像と同期するのがめんどーでやめた)。動画編集は余分なところをカットするくらいしかしたことない私にとっては javascript でコーディングするほうが簡単なのです。

 

とはいえ画像を準備するのがまた一苦労です。それほど絵心があるわけではないので描いてもなんとなくそれっぽいなくらいのもんです。まあそれでも無いよりはマシだと思い「ラフです」と言い訳をしてついーとしてます。それほど手の込んだ絵じゃなくあくまで歌詞の世界を補う程度です。

 

今余計なことを思い出してしまったので、ちょっと書いておきたいのですが、とある楽曲の映像がうるさかった話をします。映像がうるさいって感覚は少し伝わりにくいかもしれませんが、要するに歌詞以上に映像がその内容を説明しちゃってるんですよね。もっといえば映像の言葉が無いところを歌詞が補っていると評すれば良いでしょうか。映像が主役になって曲が飾りになってるんです。これを見たときの私の感想は「アニメみたいだな」です。OPやEDじゃなくて本編の部分ですね。曲が挿入歌みたいな扱いになってました。どの曲かは明言しませんがこれは酷いなと感じた次第です。

 

ということで、映像は語り過ぎずそれでいて世界観を表現すべきだなとひしひしと感じました。ある意味じゃ私の曲の最初のシーンも砂浜と入道雲、女性と飛んでいった麦わら帽子も説明しすぎてるかもしれません。そんなの歌詞聴いてればわかりますからね。でもそのときはその絵しか頭にありませんでした。なんならいい構図だなくらいに考えてましたから。

 

まだまだ続きますけど大丈夫ですか?ここらで一息入れたらどうですか?私も一旦筆を止めて続きは後日にします。

 

 

 

~後日~
残りは3行くらい書けばいいかな~(日が変わって気分も途切れた私)。いやいやいや、久しぶりにこんな長文したためてるんだから続けようよ(気を取り直して前向きな私)。ということで続くみたいです。

 

2番のサビに入る前にその場の思い付きで1小節増やすことにしました。サビを盛り上げるための助走というか溜めというかよくある手法です。この1小節にブレイク(無音)を入れて更にサビを引き立てようという画策です。ついったーではこれを暴挙として説明しています。というのもこの曲はそういった小手先のテクニックは似合わないと考えていたからです。でも暴挙で良いと思っていました。ぶっ壊すくらいがちょうどいい。

 

ブレイクは上手くいきました。ピアノのちょっと幻想的なアルペジオをドラムが引き締めてここは違和感無く完成。ところが肝心のサビで困窮します。せっかくブレイク入れてここから盛り上がるぞ~ってときにメインのピアノは力の抜けたメローなライン。サビのピアノだけ少し前に作ってあったので合体したときに整合性がとれなくなったわけです。あーでもここのピアノは残しておきたい。

 

で、この局面をどう乗り越えたかというと・・・何もしない。そうなんです。そのままピアノは残して何もしなかったんです。だから2番のサビの出端は盛り上がりとか力強さにちょっと欠けてると思います。ドラムでシンバル入れたくらいですかね。出来上がって気付いたのですが、それで良かった。それが良かった。無理に盛り上げる必要もなかった。歌詞の「儚い」表現にもなっているじゃないかと。

 

それにサビの終盤で盛り上げなきゃならないので最初から勢いつきすぎるとメリハリがなくなってしまいます。この曲の一番の魅せ場は2番のサビの終わりから間奏に入る部分だと私は捉えてますから、そこへ向けてエネルギーを高めていくために、力の抜けたラインから始まるのは必然だったのです。こんな偉そうに言ってますが、後付けの理論です。はい。

 

その最高潮の間奏ですが、これはボカロ購入前から頭の中でイメージできていました。打ち上げ花火の映像とドラムの音がリンクしてダダンダダンダダンダダンダダダダが浮かんだときは「ここ一番泣けるやつやん。ドラムメインでいこ」とそのときにもう即決したくらいです。

 

ですがですが、打ち込み段階になってまずそのドラムから打ち込んでみると、得も言われぬだらしない音になってしまったんですよね~。これはテンポが60BPM(1秒で1拍)と遅いためだとすぐ判明しますが、はてこの間の抜けたドラムをどうするか。テンポを速めるか?でもそれをしたら全体の雰囲気も大きく変わってくるから変えられない。フレーズそのものを変えるか?いやこれじゃなきゃダメだ。と葛藤がありなかなか答えが見つかりません。

 

とりあえずドラムはそのままに他のパートを作っていきました。しかしそれも難関です。強烈なインパクトのある(といってもテンポが遅いためふにゃふにゃ)ドラムにどうやってピアノを対抗させるか。ここで2回目の暴挙に出ます。ショパンの幻想即興曲の一部をキーをずらして丸パクリしました。ロックだとよくバッハのフーガなどが丸パクリされてますが、著作権は切れているのでセーフです。

 

この丸パクリが偶然にも功を奏して今まで無気力だったドラムが息を吹き返しました。「なんでドラムいじってないのにピアノを被せたら急に溶け込んだろう?」今でもよくわかりませんが相乗効果ってやつですかね。でもまだ1小節仕上がっただけです。花火はまだまだ打ち上げられていきます。

 

丸パクリしたフレーズはさすがにショパンだけあって響きも良いしカオスで主張が強いので、これに続くフレーズも同等のものが求められます。そんなもの初めて歌を作る私にできるわけもない。はいここでまたもや何もかもぶっ壊す勢いでやっちゃいます。

 

とにかく鮮烈…鮮烈とはちょっと違うな。なんかこうそこだけグリグリと何かが心を押さえつけるような重苦しい雰囲気にしてしまえという感覚に至り、ショパンのフレーズDm(元の曲はC♯m)に対するあからさまな短調であるAを持ってくるわけです。しかも低音でおどろおどろしく拍子を無視した完全に破壊目的のフレーズです。ここまでやればショパンのフレーズよりカオスで印象に残るのではないでしょうか。

 

あ、なんていうか、こうやって文章にしてみるとハッキリ気付くことが多いですね。自分がどういう風に曲を作ってきたかが。ここまで書いてきた内容はどちらかというと論理や思考の結果ではなく感覚でやっている場合が多いので。ですから音楽に限らず創作で何かを表現する人は自らの経験を文字にすることをお勧めします。特に感覚の部分を文字にするのは大事です。自分自身見えてなかったものが見えてきます。そういや何年も前にピアノのブログを書いてたときもそうでした。感覚とかイメージとか見えないものが見えてくると面白くなります。

 

ドラムメインの4小節が終わったところで、ピアノオンリーのカタルシスに向かいます。曲の途中でピアノだけになるのは好きなので多用してます。花火の華やかさを残しつつちょっと寂しげな切なさを醸しつつCメロに照準を合わせつつといった感じです。ここでもよくわからない転調してます。あとなぜか間奏になるとオクターブ奏法。

 

で、ででで、Cメロだけは納得いかないんですよね~。聴いてもらうとわかると思うんですけど(わかるのか?)流れが出来過ぎてるんです。今まで世に出た楽曲の踏襲でしかないとでもいえばよいのか、「そこは必然的にそうなるよね~」的な流れに納得できないといった具合です。ここでまたぶっ壊したかったのですが踏襲の力に抗えず納得いかないまま次へいきます。ここはオケもするっとできましたし。

 

最後はちょっと静かになります。それでいて遠くに見える雷雲のような不穏な気持ちを抱く様を表現。そのどこにも定まらない心がぶつんと途切れて宙ぶらりんになるところで幕を閉じます。

 

ここもピアノだけになりますがもうちょっと気の利いたアレンジにしたかったですね~。「美しい夢のよう」な美しい響きと「儚い恋」の弱さを掛け合わせたような旋律をイメージしましたが、それを音で表現するのがなんとも難しく、何回か作り直して出来上がったものは自己採点で60点くらいです。

 

でも最後の最後「消えた」の歌詞の部分だけは自分でもびっくりするくらい上手く仕上がりました。その少し前から徐々に音が下がっていきますが、突如として消えたところで高音に←ここ好きなところ。「えっ!?どうして!?」と戸惑うのも束の間、間髪入れず低音で奈落の底へ落とされます。映像もブラックアウトして悲嘆にくれることさえ許されないくらいの勢いで曲はそこで終わってしまいます。

 

そこで終わって良かったんですよね?
というのもその後に続けて悲愴感が爆発するほどのエピローグを付け足したかったんです。ひたすら物悲しさを強調するような、あからさまにいうと「ここ泣くところです(´;ω;`)ブワッ」といった感じのやつを1分くらい流したかった。そうすることで後味も良くなります。試しにエピローグ有りバージョンと無しバージョンを公開しようかとも考えましたが、なんかそれは違う。仮にエピローグの仕上がりが及第点以上なら、きっと聴いた人の多くは有りバージョンを選ぶに違いないと思うんです。

 

この曲はそうじゃないな。最後に曲がブツ切りになってから1分くらい自分の頭の中でエピローグを流してもらいたい曲なんです。曲が終わった後、人によっては強く余韻の残る曲だと思ってます。「その余韻に浸る=エピローグ」であって、こちらで用意するものではないな、と。

 

 

 

こんなだらだらと綴った長文読む人がいるとするなら、もちろん曲も聴いていきますよね?私の作曲過程に興味を持ったからこそ最後まで読んでもらえたんだと思ってます。ですから曲を聴かずに去るわけにはいかなくなっているのではないでしょうか。それにわざと曲の全体像がわからないようにぼかして書いたつもりです。聴く前から全部わかってたらつまらないですからね。ついったー経由で既に聴いたよという人は、それはそれでこの記事を楽しんでもらってこの内容を踏まえた上でもう一回聴いてもらえると解釈も変わってくるかもしれません。

 

ここまでそれっぽいこと書いてきたのでそれなりの実力者みたいに思われていたとしたら恐縮ですが、初めて作った歌なのでアレンジはきっと素人っぽさが出まくってます。一応言い訳してハードルを下げておかないと・・・。

 

それでは聴いてください。

http://gensproducts.com/products/vocaloid/001_natukoi/main.html